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《自然居士》  子どもを救え!

  
  人買船は沖を漕ぐ 
  とても売らるる身ぢゃほどに
  静かに漕げよ 船頭どの   (閑吟集)

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 自然居士(じねんこじ)は鎌倉時代に実在した説教芸能者です。
 観阿弥は、彼を少年僧に変え、両親の供養のために身売りした少女を「人買い」から救い出す話を作りました。
 主人公の機智と行動力、丁々発止の対話も面白く、暗い世相を写しながらも明るい雰囲気の曲。

 「京都東山・雲居(うんご)寺」の門前に住む男が、自然居士の「七日間勧進説法」の結願日だと触れます。
 そこへ少女が現れ、風誦(ふじゅ・二親追善の志を述べた文のこと)を捧げ、小袖を供えます。居士が読みあげた風誦文にはこんなことが。

   みのしろ(蓑代・身代)衣うらめしき みのしろ衣恨めしき
  (この憂き世を早く逃れて、亡き父母と一緒に極楽の台(うてな)に生まれたい)
 

 居士は少女の健気さに袖を涙で濡らし、「数の聴衆も 袖を濡らさぬ人はなし」。

 ところが「人商人」が説法の場に来て、男を脅して少女を連れ去ってしまいます。
 施物の小袖を得るために少女が身を売ったと悟った居士は、「大津松本」まで走って行こうとしますが、「それではご説法が無になる」と、男は追跡をやめさせたい。

  いやいや説法は百日千日聞こしめされても 善悪の二つを弁(わきま)へんため
  今の女は善人 商人は悪人 善悪のニ道ここに極まつて候ふはいかに
  (善悪の実例がここにあるのだから、説法は完結したのだ)


 かっこいい論理! ここで終わってもいいぐらいです。でも、少女の救出はこれから。
 
 琵琶湖のほとりで居士は「船出」に追いつき、「人買ひ舟へ物申さう」と声を掛けます。
 相手からは人聞きが悪いと嗜められますが、「舟を漕ぐ一櫂(ひとかい)のことよ」とかわし、居士は船に乗り込みます。
 人商人は怒って少女を櫂で打ち、轡(くつわ)を嵌められた少女は泣き声もでません。
 「買い取ったものは返さぬ掟」があると彼らは主張、居士も「こちらには助けなければ庵室に帰らぬ法」があると返し、陸奥まで一緒に行くと一歩も引かず。

 人商人は困り果て、居士を散々に嬲(なぶ)った上で少女を返すことにして、都で評判の舞を舞えと、烏帽子を与えます。
 自分の舞は説法のためのもの、「何と無情な仕打ち・・」と言いつつも居士は、語り芸で「舟の起源」を披露します。これもえらい。
 
 和漢の知識を網羅し、「御座船を龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)と申す」で結ぶと、人商人は「われらが船をめでたい言葉で祝ってくれて有難う」と、大喜び。
 次には「ささらを擦れ」との注文です。

 居士は、ささらの代わりに数珠を揉み、助けてくれと手を擦り合わせて懇願。
  
  ささ波や ささ波や 志賀辛崎の 松の上葉を
  さらりさらりと ささらの真似を 数珠にてすれ(為・擦)れば
  ささらよりなほ 手をも擦るもの 今は助けて たび給へ
 
 
 ついには「鞨鼓(かっこ)打つておん見せ候」と求められ、鞨鼓を着けて舞います。
  
  もとより鼓は 波の音 寄せては岸を どうとは打ち
    ・・
  どうどうと 鼓をまた打ち ささらをなほ擦り
  狂言ながらも 法の道 (戯れの芸能であるが、それが仏道に通じる)
  今は菩提の 岸に寄せ来る

 
 船中はみな居士の芸に感動し、彼岸に到達したのと同様に、船は琵琶湖の岸に着きました。居士と少女はうち連れて「ともに都へ上りけり」。

 シテがつけるのは「喝食面」です。
 自然居士が喝食(かつしき・禅寺で僧の世話をする稚児)であるなら、大人に虐げられる苦しみは他人事ではなかったでしょう。
 美少年の「芸尽くし」と並んで、少年が悪人をやりこめるのもこの曲の眼目。私には、少年の活躍に喝采を送る大人、人身売買のやまない世に絶望する大人の顔が透けて見えるようでした。
 
 魯迅は「狂人日記・1918年」で、儒教を媒介とする封建道徳の虚偽にしばられ、人間が人間を食っている社会を描いています。
 小説のラストは、未来への希望・・そう言われて100年。
  
  人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしら?
  せめて子どもを・・・
 
 


 
 
 この100番目の謡曲をもって、一年限定のブログを終了いたします。
 お読みになって下さった皆様、コメントをお寄せ下さった皆様に、心より感謝を申し上げ上げます。
 能の「序破急」ではありませんが、最後は「さっと収めたい」と思います。
 有難うございました。
                              suzuki yukie


 
 
 










 
 


  
  

  
 
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9月7日はヒカル記念日  《野宮》


フリードリヒ 「樫の森の修道院」

森の修道院

  これなる森を人に尋ねて   森の木枯らし秋ふけて  
  われこの森の蔭に居て   森の下道秋暮れて
  森の木の間の夕月夜   森の木陰の苔ごろも 
  影淋しくも森の下露
 

 謡曲「野宮(ののみや)」の舞台は晩秋の「嵯峨野」、伊勢斎宮の精進屋(しょうじや)ですが、森のつく言葉がこんなに多い。
 作者は「心の色」など「色」の多用で有名な「金春禅竹」と推定され、本説にはない森のイメージをこの曲に与えています。
 舞台に置かれる「黒木(木肌をはがない丸太のまま)の鳥居」は、神と森の象徴。
 
 旅の僧が「野の宮」を参拝をしていると、榊を手にした女が現れ、自分は毎年9月7日に訪れるが、この日に光源氏が六条御息所を尋ね、そののち御息所は娘の斎宮とともに伊勢に下ったのだと語ります。
 そして、自分こそ御息所だと告げて姿を消し、旅僧が弔いを始めると、牛車に乗って再び登場。
 亡霊は、賀茂祭での「車争い」の有様を語り、妄執を晴らしてほしいと懇願、「懐旧の舞」の後で車で去って行きますが、はたして火宅を出ることができたのか。

  花に馴れ来しののみや(野・野宮)の  
  あき(秋・飽)より後(のち)はいかならん
  ・・
  心の色はおのずから 千草の花に移ろひて
  衰ふる身の慣らひかな
 
 
 道行文はなく、僧の名乗りの後は、女の述懐。
 「花」の季節は束の間です。光源氏に捨てられ、寂しい境涯の御息所の拠り所は、今や「野の宮」だけ。
 娘が籠った神域は、女として守りたい「恋の聖域」でもあります。
 僧がいきなり名を尋ねると、無礼を咎め「早く帰れ」と高飛車な態度。可愛い人なのに可愛くできない。
  
  これはいにしへ斎宮に立たせ給ひし人の仮に移ります野の宮なり
    ・・
  長月七日の今日はまた 昔を思ふとしどし(と・年々)に
  人こそ知らね宮所を清め 御神事をなすところに
  行方も知らぬおん事なるが 来たり給ふは憚りあり 
  疾く疾く帰り給へよとよ
 

 暗い森にほの見える光は、胸を焦がす私の思いかしら。

  いとかりそめの御住居(すまい) 
  今も火焚き屋(神撰を整えるための火を守る小屋)の幽かなる
  光はわがおもひ(思・火)内にある 色や外に見えつらん
  あら淋し宮所 あら淋しこの宮所
 

 後半、車で乗り付けた亡霊は、賀茂の「車争い」の語りへと突入。「葵の上」の車に押しやられた無念さが、スピード感あふれる筆致で描かれます。
「森」に劣らず「車」の数も多くて渋滞しそう。でも禅竹の詞章は非常にスムーズです。
 
  秋の千草の花車   車の音の近づくかたを  いかなる車やらん
  賀茂の祭の車争い   物見車のさまざまに   
  身は小車(おぐるま)の   車の前後にばっと寄りて
 

 圧巻なのがこの曲の最後です。詞章は体言止め、舞台の所作もめずらしい。
 シテが、鳥居の柱をつかみ、あともう一歩を踏み出せずに、足を前後させます。
  
  ここはもとより 
  忝(かたじけ)なくも 神風や伊勢の
  内外(うちと)の鳥居に 出で入る姿は
  生死の道を 神は享けずや 思ふらんと
  また車に うち乗りて 
  火宅の門(かど)をや 出でぬらん 火宅の門
 

 恋の妄執は、神にも仏にも救われないようです。それでいいではないですか。
 作者は、古典のヒロイン「六条御息所」に永遠の命を与え、恋に苦しむ幸せ、不幸せを私達に問いかけています。
 
 
  

 
 
  
  
 

  
  

 
 
 

 

 

《実盛》  死ぬための勝負服          


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  あな無慚やな斉藤別当にて候ひけるぞや
 
 「木曽義仲」の面前での首実検。「樋口の次郎」が「手塚の太郎」に打ち落とされた「実盛」の首を見て発した言葉です。
 これを借りて芭蕉が詠んだのが「あなむざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす」。後に芭蕉が「あな」をカット。

 「加賀国・篠原」で、「他(た)阿弥陀上人」が法談を行っています。
 里人は、上人が日中「独り言」を言うのが不審ですが、上人には聴聞に来る「老人」の姿が見えています。
 今日は素性を聞き出すつもりの上人に、妄執を思い出したくないと答える老人。

  この称名の時節に逢ふこと 
  盲亀の浮木優曇華(うどんげ)の花待ち得たる心地して
  老(おい)の幸ひ身に越え 喜びの涙たもとに余る
 

 上人は「懺悔のためだ」と説得します。すると老人は「人払い」をさせた上で、「篠原の合戦で落命した実盛の幽霊」だと明かし、「首洗いの池」に消え去ります。

  しのはら(為・篠原)の 池のほとりの法(のり)の水 ・・
  深くぞ頼む称名の 声澄みわたる弔ひの 初夜から後夜に至るまで
  心も西へ行く月の 光とともに曇りなき 鉦を鳴らして夜もすがら
 

 里人から事情を聞き、上人の弔い(踊り念仏も)が池のほとりで始まり、実盛の幽霊が再び登場。
 「萌黄(よもぎ)匂ひの鎧に金(こがね)作りの太刀」の華やかな装いは若武者か。

 謡曲「実盛」は「老木(おいき)に花を咲かせた曲」だそうです。世阿弥によれば。
 それにしてもなぜ実盛は若作りなのでしょう。本人に聞いてみます。

 実は、自分の生国は「越前」なのだ。赴任地の「武蔵」に住んでいるがね。
 今回の北国の戦では討死する覚悟で、故郷へは錦を着て帰るという言葉もあるし、宗盛公に頼んで「赤地の直垂」を給わった。 錦を着るには公式許可がいる時代だ。
 では「白髪染め」は?
 それも詞章に書いてあるじゃないか。
  
  六十に余つて戦をすれば 若殿ばらと争ひて
  先を駆けんも大人気なし
  また老武者とて人びとに 侮られんも口惜しかるべし
 
 
 なるほどなるほど。老いて現役でいるのもご苦労ですね。
 ところで、実盛氏は義仲の命の恩人なのに、謡曲では、義仲との縁に触れず、義仲を討てなかった無念が強調されています。それで構わない?
 
 まあな。幼馴染の次郎が、私の首に涙を流してくれたし、墨で染めた鬢鬚(びんひげ)が洗われるシーンが実に美しい。老木の花が見事に咲いている。

  この池波の岸に臨みて 水の緑も影映る 柳の糸の枝垂れて
  気霽(は)れては 風新柳の髪を梳(かず)り
  氷消えては 波旧苔の 鬚を洗ひて見れば 墨は流れ落ちて
  元の 白髪となりにけり
 

 「実盛」は、老体と軍体の「能」です。
 実盛の「最期の物語り」では、「弓と太刀と馬」での殺し合いの有様がダイナミックに描かれています。
 武名を惜しむ実盛が、最後に切り落とす郎党の首。
 「戦(いくさ)に疲労する」人生そのものが無慚です。

  あつぱれ おのれは日本一の剛の者と組んでうずよとて
  鞍の前輪に押し付けて 首掻き切って捨ててんげり
    
  その後手塚の太郎 実盛が弓手(左手)に回りて
  草摺りを畳み上げて 二刀刺すところを
  むんずと組んで二匹が間(アイ)に どうと落ちけるが
  老武者の悲しさは
  戦には為(し)疲れたり
  風に縮める 枯木(こぼく)の力も折れて
    ・・
  終に首をば掻き落とされて

 
 実盛は、篠原の土になりました。
     
 














 

天に星あり 地に歌人あり  《蟻通》          


貫之も子規も一等星  (ミュージュカル 正岡子規)
子規

 問題です。七か所も曲りのある「玉」に糸を通すにはどうしたらよいでしょう。
 出口に蜜を置き、アリに糸を結んで入口から入れる。ピンポーン。
 「中将」某はこの難題を解き、和泉国の「蟻通明神」になりました。その明神の社地が、謡曲「蟻通」の舞台です。

 紀貫之が「紀州・玉津島神社」に向かう道中で、突然の雷雨に遭いあたりは真っ暗、乗って来た馬も倒れて途方に暮れます。
 そこへ傘をさし松明を手にした「宮守」が現れ、 社前が暗いのは宮守が怠慢だからと嘆きます。(実は明神さん)。
 貫之が事情を話すと、社地を下馬せずに通ったのだから「命がない」と言い、貫之であるなら「歌を読(よ)うで神慮におん手向け候へ」と勧めます。
 
  雨雲のたち重なれる夜半なれば ありとほしとも思うべきかは   
 (雨雲の重なる闇だったので、空に星があるとも、蟻通の神域とも思いもしなかった)
 貫之の原歌もご紹介。こっちの方がずっといい。
 
   かき曇りあやめも知らぬ大空に ありとほしをば思ふべしやな
 
 宮守は貫之の詠歌に感じ入り、神慮にも叶ったか、馬が起き上がります。
 宮守は祝詞を捧げ、明神と告げて消え去り、貫之は再び旅路に・・。
 
 「ありとほし」には「有りと星」、倒置して「星有りと」が掛けてあります。
 古今集仮名序の「和歌をもって目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」の劇化で、貫之が好印象。
 たとえば、「奥義に達した人」と言われて謙遜し、辞退するそぶりを見せつつ、良い歌ができるよう念願して歌を詠むところ。「上手く作ってやろう」ではないのです。
 子規は貫之を「下手な歌詠み」と貶しましたが、今ではどちらも古典の星。

 貫之主従が豪雨に馬ごと打たれる情景が目に浮かびます。該当する詞章はないのに、漢詩が巧みに引用にされています。古能を生かした世阿弥作。
 雨中に灯なく歩行できず馬も進まない。虞氏は項羽の愛妾、騅(すい)は愛馬の名。

  燈(ともしび)暗うしてはす数行(すこう)虞氏が涙(なんだ)の雨の
  足をも引かず騅行かず 虞いかがすべき便りもなし あら笑止や候(困ったことだ)

 (宮守が登場し)
  瀟湘の夜の雨しきりに降って 遠寺の鐘の声も聞こえず  ・・
  社頭を見れば燈火もなく すずしめ(神慮を慰める奏楽の音)の声も聞こえず 
 

 先立つ道行文にも「鐘の声」があり、雨の前なのでこちらは音が聞こえる。

  夢に寝て 現(うつつ)に出づる旅枕 現に出づる旅枕
  夜の関戸のあけ(開・明)暮れに みやこ(見・都)の空の月影を
  さこそと思ひらやるかたも 雲居は後に隔たり
  暮れわたる空に聞こゆるは 里近げなる鐘の声 里近げなる鐘の声
 

 結末の明神の消え方がユニーク、そして貫之の「歌の道行」は雨上がりの爽やかさ。
 世阿弥は「蟻通」を「蘭位の曲」の例に引きます。私には蘭位はわかりませんが、渋さの中に上品な華やぎが感じられる曲でした。

  天地(あめつち)開け始まりしより 舞歌(ぶか)の道こそ素直なれ
     ・・
  鳥居の笠木(鳥居に渡してある横木)に立ち隠れ
  あれはそれかと見しままにて(あの姿が明神の化身かと見ただけで)
  かき消すやうに失せにけり
  貫之もこれをよろこびの 名残りの神楽夜(かぐらよ)は明けて
  旅立つ空に立ち帰る 旅立つ空に立ち帰る
 

 目的地の「玉津島神社」は、和歌の神様の「衣通(そとおり)姫」を祀ります。貫之は業界の人なのに初めての参詣ですって! ここから下馬して行くべきだわ。
 



















赤い本 と 青い鳥


honn.jpg      tori.jpg
 

 昨日6月21日は、私の60歳の誕生日でした。
 
 還暦ということで「赤い本」、そして幸せの「青い鳥」をプレゼントされました。
 
 贈ってくれたのは、息子家族(月と太陽と魚)です。夏休みの課題図書のような難しい本ですが、自分でリクエストしたのだから頑張って読まなくちゃ。
 タイトルは「D」に関係あり。著者は男性で、妻の名をペンネームにしています。

 「青い鳥」が我が家に飛んでくるとは驚きました。これでもう探しに行かなくてもいい。孫息子5歳の作品。ありがとうね!

 謡曲ブログもあと4曲で終了です。
 アップした記事は今も一切読み返すことなく、ただただ百番を数えてきました。読み返していたら自己嫌悪で放り投げていたでしょう。書くのはつくづく苦手だと悟りました。

 とにかく、本を読む時間が増えるのがうれしいです。

 











 

《舟橋》 は柱がいらないはず 人柱も          


北斎画  上野佐野舟橋    
佐野

 謡曲「舟橋」のあらましを「アイ」が語ります。
 
 「東路の佐野」に、川をはさんで仲の悪い「朝日長者」と「夕日長者」がいました。それぞれの息子と娘が恋仲になり、男は女のもとへ忍んで通う。親たちは橋さえなければと、橋板を四五間取り放って置きます。
 夜は暗く、何も知らない男は途中まで渡って「ドボン」。向こう岸で待つ女は、男の姿が消えたので不審に思い橋を渡って「ドボン」。恋は邪淫の罪、二人は三途の川に沈んでしまいます。
 
 世阿弥が古能を改作、万葉歌、七夕伝説、橋尽くしと、古風で雅な雰囲気が楽しめる曲です。でも内容はかなり陰惨。

 男女の亡霊が、佐野の舟橋(舟を並べた橋)で「橋勧進(橋の建立や修理の寄付)」を勧めています。
 成仏できずに輪廻を繰り返すのは、前世の業因ゆえ。生死(しょうじ)の海を抜け出すために「船や橋」を作りましょう。

  往時渺茫(びょうぼう)として何事も 身残す夢の浮橋に
  なほ数添へて舟競ふ 堀江の川の水際に 寄るべ定めぬ徒波の
  うき世に帰る六の道 逃がれかねたる心かな
    ・・
  生死の海を渡るべき 船橋(ふねはし)を作らばや
 

 この二人に勧誘されるのが山伏一行です。
 彼らは「三熊野」から「松島平泉」へ向かう途中で「佐野」に立ち寄っただけなのです。でも、山伏の祖「役の行者」と橋の繋がりは深く「飛んで火に入る夏の虫」。

  幾瀬渡りのやす(野洲・安)の川  (安の川は万葉語で天の川の意)
  かの七夕の契り待つ 年にひと夜は徒夢の 
  さめがゐ(覚・醒が井)の宿を過ぎ 伊吹颪(おろし)の音にのみ 
  月の霞むやみのをはり(身の終・美濃尾張)
  老(おい)を知れとの心かな 
 

 山伏は勧進を了承し、万葉集に詠われた「佐野の舟橋」の謂れを尋ねます。
  東路の 佐野の舟橋とりはなし 親し離(さ)くれば 妹に逢はぬかも   
 亡霊はさらに橋建立を勧め、身の上を明かすと救済を願って消え去ります。

 後半、山伏の加持祈祷に、再び二人が登場。
 女の方はすぐに成仏しますが、男はまだまだ苦患の真っ最中。恋愛は五分と五分でしょうに。男が懺悔のために再現するのが、あの夜の、あの現場です。

  冴えわたる夜の 月の半ばに 更け静まりて
  人もね(寝・子)に臥し 丑三つ寒き 川風も厭はじ
  逢ふ瀬の向かひの きし(樹・岸)に見えたる 人影はそれか
  心嬉しや 頼もしや

  互いにそれぞと 見みえしなか(仲・中)の 
  橋を隔てて 立ち来る波の よりば(寄・寄羽)の橋か 
  鵲(かささぎ)の 行き合ひの間近く なり行くままに
  放せる板間を 踏みはづし かつぱと落ちて 沈みけり


 結末では、男も「行者の法味功力」で「浮かめる身」となりますけれど、かわいそう。
 万葉集の原歌は、
   上野の佐野の舟橋取り放し 親は離(さ)くれど我(わ)は離(さ)かるがへ
 舟橋の話は、別名「親し離(さ)くればの物語」。きっと後世の人が恋人たちに同情したのです。
 アイは「とりはなし」の別の意味も教えてくれます。ノーナビだ。
 
 親たちは「せめて死骸を見たい」と思い、ある人が「庭鳥を舟に乗せ、川の面を漕ぎ回れば死骸の上で鳴く」と言うので隣郷を尋ねます。
 しかし「庭鳥が沙汰(さた)なかったげに候」で「鳥はなし」。
 佐野の人々が庭鳥を隠したに決まってます。子殺しの親は生き地獄。
 





















《小原御幸》 生き延びて恥じることはない   


あじさい
 
 平家は「水軍」ということもあり、戦に負けると人々は次々に入水。幼い「安徳天皇」は、祖母の「二位殿」に抱かれ、檀の浦の海底へ飛びこんでいきました。
 清盛の娘、高倉天皇の中宮、そして国母となった「建礼門院徳子」は、源氏の武士に助けられ(そこで多分凌辱され)、出家して大原「寂光院」で菩提を弔う毎日。この人に世間の目は決して甘くはなかったでしょう。
 
 謡曲「大原御幸(おはらごこう)」は、建礼門院と舅である「後白河法皇」との「対話劇」の趣。西海での苦しみを「六道」になぞらえて語る門院は、平家滅亡の「証言者」としてのみ生かされています。
 平家追討の院宣を下した法皇への憎しみはなく、後半、悲劇の「檀の浦」を再現する門院の語り口は淡々として、かえって痛ましい。

 門院には「大納言の局」と「阿波の内侍」が寄り添います。
 山里の暮らしは寂しいが、人目に触れないのが心安いと門院は述べ、仏前に供える樒(しきみ)を摘みに裏山へ。お供の局は、供御(ぐご)のために「薪と蕨」を。

  折々に心なけれど訪ふものは
  賤が爪木の斧の音、賤が爪木の斧の音
  梢の嵐猿の声 これらの音ならでは
  真祈(まさき)のかずら青つづら 来る人稀になり果てて
    ・・
 
 寂光院は「青葉がくれの遅桜」の頃です。紅葉の季節でなくてよかった。「二大スター競演」の舞台が錦秋ではあまりにくどい。一人はモンスターだし。
 法皇は、若くして出家した門院を「名残りの桜」に例えて、御幸を急ぎます。

  露結ぶ庭の夏草茂り合ひて 青柳糸を乱しつつ
  池の浮草波に揺られて 錦をされすかと疑はる
  八重立つ雲の絶間より 山時鳥(ほととぎす)の一声も
  君の御幸を 待ち顔なり
 

 庵室に着くと留守番の内侍だけがいます。彼女を見忘れていた法皇に対し、「恨みとはさらに思はずさぶらふ」と応じる内侍。門院を支える賢い女性たちが、この芝居に妙味を与えています。作者は金春系の人とか。
 門院は、世間の噂をおそれ対面を躊躇しますが、「とは思へども法(のり)の人、同じ道にと頼むなり」と、法皇の前に出て行きます。

 御幸の目的も仏道に関わり、法皇は「女院は六道の有様 御覧じけるとかや」と聞きつけ尋ねて来たのです。地獄界まで支配したい法皇ですが、愛する人の顔も見たい。
 門院は自分の体験した苦しみを、餓鬼道、修羅道、畜生道に例えて語り、「先帝のご最期」に至れば、涙、涙です。
  
  まづ一門 西海の波に浮き沈み よるべも知られぬ舟の上
  海の臨めども 潮なれば飲水(いんすい)せず 餓鬼道のごとくなり
      ・・      
  その時二位殿鈍(にぶ)色の二つ衣(きぬ)に
  練袴の稜(そば)高く挟んで わが身は女人なりとても
  敵の手には渡るまじ 主上の御供申さんと
      ・・   
  この国と申すに逆臣(げきしん)多く かくあさましき所なり
  極楽世界と申して めでたき所の この波の下にさぶらふなれば
  御幸なし奉らんと 泣く泣く奏し給へば
  さては心得たりとて   ・・   千尋の底に入り給ふ
 

 我が子の最期に母の出番がないのも、美貌のヒロインに背負わされた悲劇かもしれません。
 
 「いつまでも 御名残はいかで尽きぬべき」と法皇が腰をあげると、
   女院は柴の戸に しばしが程は見送らせ給ひて
   御庵室に入り給ふ 御庵室に入り給ふ
 

 還幸を柱に手をかけて見送る門院に、かすかな色香と甘えを感じてしまいます。法皇からの「再婚」の申し出を断った事があると知れば尚更。
 
 大原の里も、そろそろ陽が西に傾いてきました。
 寂光庵は焼け落ちて再建され、ガクアジサイも今どきの花です。ただ「文字」に書かれた物語は生き延びて、当時を伝えています。
 

















  

《松風》 ゆきひらで炊く米の飯     


SUMA
須磨

 
 「在原行平」が流された時代の須磨は、月だけが美しい、鄙びた何もない浜辺です。
 貴公子の慰みに海女の姉妹が差し出されて3年、行平は許されて都へ帰り、すぐに病死。残された「松風」「村雨」の姉妹は死んでなお、行平への恋心に苛まされます。

 幽霊の二人は海女の身を嘆き、月影を浴びて汐を汲みます。美しい詞章がたっぷり。
 塩屋に戻ると、旅僧に宿を乞われ、一度は断りますが招き入れます。
 旅僧は、行平の旧跡である松を弔ってきたばかり。行平の詠歌を口にすると、二人は涙をみせ、昔語りをはじめました。
 
   わくらはにとふ人あらば須磨の浦に 藻塩垂れつつ侘ぶと答へよ 
 
 姉妹は素姓を明かし供養を願い、松風は、行平の形見をつけて舞を舞います。
 思慕が募り、墓標の松を行平と信じて抱きしめる姉。それを冷ややかに非難する妹。
  
  たちわかれ いなばの山の峰に生ふる まつ(待・松)とし聞かば いま帰りこん 
 
 二人は僧に供養を頼んで消え去り、夜明けの浦には、「村雨と聞きしも今朝見れば 松風ばかりや残るらん」。

 世阿弥(観阿弥原作)の名曲中の名曲です。登場人物の私が言うのですから間違いない。姉に比重がかかり過ぎですけどね。タイトルもかっては「松風村雨」。
 
 お手がついた時点で、土地の男達との縁は切れ、行平様のあとを追い都に上ることもできず、私達は、一旦は脱いだ「潮衣」を、再び着たのです。
 桶に月影が映れば、行平様が帰ってきたように思い、それだけが楽しみのくらし。

  さし来る潮を汲み分けて 見れば月こそ桶にあり
  これにも月の入りたるや 嬉しやこれも月あり
  月はひとつ 影はふたつ みつしほ(三・満つ潮)
  よる(四・夜)の車に月を載せて 憂しとも思はぬ 潮路かなや
 

 二人一緒の夜伽を思い出すとはずかしい。下々の身では何も言えません。でも、姉は私など存在しないように振舞い、本当に幸せそうだった。
 塩屋でも「主(あるじ)」は姉で、私は取次。旅人の宿はできないと姉が言うのできつく断ったのに、出家ときくと「お泊りあれ」ですって。情にもろいというか。
 そんな姉を行平様は愛したのかしら。姉の一人相撲・・だと私は思うけど。

 しかし愛した者勝ちね。姉は、形見の烏帽子・狩衣を独り占めして舞ううちに、感極まり「松」を行平様だと信じて向かって行く。妖しい美しさは月光にまし・・。
  
  あら嬉しやあれに行平のお立ちあるが 松風と召されさむらふぞや いで参らう 
  あさましやそのおん心ゆゑにこそ 執心の罪にも沈み給へ 
 
 これは私の意地悪だわ。恋のためなら地獄堕ちも平気という「女」への嫉妬だった。
 
  すまの浦曲の まつ(待・松)のゆきひら(雪・行平)
  立ち帰り来ば われもこかげ(来・木蔭)に いさ立ち寄りて
  そなれまつの(添・磯馴松)の 懐かしや
 

 姉だって分かっているのよ。行平様が帰ってこないことは。
 それでも海岸にしがみつく磯馴松のように、死んだ人にしがみ続ける。くねくねと曲がり地面を這ってでも。人を恋うるということは何てたくましいのだろう。
 行平様は怖れをなし、私の所へ戻ってくるかもしれない。昔もそうだったから。

 「熊野松風は米の飯」。何度観ても飽きないところがご飯と同じ。あるいは人気曲で観客が入り能役者が生活できるからとも。おかゆを「行平・雪平」鍋で炊くと、お米の香りがします。
 
  














 

強いお姉さんは好きですか  《蝉丸》     


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 血筋を守るために繰り返される血族結婚。天皇家に限らず「上層階級」には「障害」を持つ子が多く生まれたはずです。
 しかしそれに触れることはタブーで、天皇が障害の子を排斥する謡曲「蝉丸」の特殊性は際立ち、この作品は「能」を離れ、社会学的、哲学的にも論じられてきました。

 「順逆の理」「価値観の倒錯」を皇女が説くという衝撃に、私の髪も逆立ちます。
 それでも孤独な姉弟の魂に寄り沿えば、詞章からは琵琶の音色、雨の音、風の音、虫や猿の声まで聞こえ、心が静まってきます。蝉丸の「盲目」が重要なのです。
 耳をすませることは、心をすませること。

 延喜帝の命により、廷臣「清貫(きよつら)」は、皇子の蝉丸を「逢坂山」に置き去りにします。

  東雲の 空も名残りの都路を 今日出て初めてまたいつか
  帰らん事も片糸の よるべなき身の行方
  さなきだに世の中は 浮木の亀の年を経て
  盲亀の闇路たどり行く 迷ひの雲も立ちのぼる
  逢坂山に着きにけり 逢坂山に着きにけり  
 
 
 清貫は蝉丸を出家させ、「蓑と笠と杖」を与えます。蝉丸は、歌の記憶から品々の用途を想像するしかありません。
 清貫が去ると、寂しさと心細さが吹き出し、皇子は「琵琶を抱きて杖を持ち 伏し転びてぞ泣き給ふ」。盲目の人間に与えられた琵琶だけが彼のよりどころ。

 一方、第三皇女の「逆髪」は流浪の身。
  辺度越境の狂人となつて 緑の髪は空(そら)さまに生ひ上つて撫づれども下らず  
 童(わんらべ)が笑えば、平民が自分を笑うのも逆さま、それも「面白い」と闊達。
  
  面白し 面白し これらは皆人間目前の境界なり
  それ花の種は地に埋つて千林の梢にのぼり 
  月の影は天にかかつて万水の底に沈む 
  これらをば皆いづれをか順と見 逆なりと言はん  
 
 
 ところが、反逆精神に満ちた言葉もここまで。都から逢坂山への「道行」は平凡で、「逆髪」は世間に迎合してしまうのです。作者は不明、世阿弥かとありますが。

  花の都を立ち出でて 花の都を立ち出でて
  憂き音に泣くか賀茂川や 末白河をうち渡り
  粟田口にも着きしかば 今は誰をか松坂や
  関のこなたと思ひしに 跡になるやと音羽山の
  名残惜しの都や 松虫鈴虫きりぎりすの
  鳴くや夕陰の 山科の里人も咎むなよ
  狂女なれど心は清滝川と知るべし
 

 この先の「走井(はしりい)」では、水に映った自分の「黛(まゆずみ)も乱れ黒みた」姿に後ずさり。
 逢坂山で逆髪は、聞こえてきた琵琶の調べに、足音を立てずに藁屋に近寄り聞き入りますが、さぞ傷ついた心に沁み渡ったことでしょう。
 音楽の記憶を共有した姉と弟が、藁屋の内と外にいます。

 蝉丸が気がつき、思いがけない邂逅に手をとりあう姉弟。
 「玉楼金殿」からの転落を二人で嘆きますが、藁屋では雨音もせず、月光が漏れても盲目ではと、姉は慰めのない弟の「起き臥し」を思いやるのです。
 
  雨だにも音せぬ 藁屋の軒のひまびまに
  時々月は漏りながら 目に見る事の叶わねば ・・
 

 弟は自分を捨てた父を庇い、姉は自分から親を捨てています。その強い姉のやさしい気持ちから出た深い洞察の言葉。いよいよ別れの時です。
   げにいたはしやわれながら、行くは慰む方もあり、留るをさこそと・・  
 まさにそうですね。別れは見送る方がつらい。

  かすかに声のするほど 聞き送りかへり見置きて 
  泣く泣く別れおはします 泣く泣く別れおはします
  

















《海士》  乳を与えた その乳を朱に染め


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 謡曲「海士(あま)」の本説は、讃岐国(香川県)の「志度寺縁起」。寺は「海女の珠取り縁起図絵」を今に伝え、四国遍路第86番目の霊場となっています。
 
  房前(ふさざき)の大臣とはわが事なり 
 房前は、父「藤原淡海公」が当時は賤しいとされた「海女」と契って出来た子。出自に勝る母の恩か、息子は亡母の13年追善供養のため、奈良から讃州「志度の浦」へと旅立ちます。道行文には大臣の背景である藤原氏の栄華も。

  慣らはぬ旅にならざか(慣・奈良坂)や 返りみかさ(見・三笠)の山隠す
  春の霞ぞ恨めしき

  三笠山 今ぞ栄えんこの岸の 今ぞ栄えんこの岸の 南の海に急がんと
  行けば程なく津の国の こや(昆陽・此や)日の本の初めなる
  淡路のわたり末近く なると(成・鳴門)の沖に音するは
  泊まり定めぬ海士小舟 泊まり定めぬ海士小舟
 

 浦に着いた房前の前に、「海松布(みるめ)刈りの女」が現れます。
 女が、唐の重宝「面向不背(めんこうふはい)の玉」を龍宮から潜(かず)き上げた海士のこと、淡海公と海女との間の一子のことを話すと、房前はそれこそ自分よ、「懐かしの海士人や」と涙を流します。

 女は促され、宝珠を奪還した有様を語ります。
 まず、産んだ子を「世継ぎ」にすることを父親に約束させ、命綱をつけて海底へ。
 龍宮では八龍が玉を守護しています。そこを剣を額にあて盗み取り、次に「持ちたる剣を取り直し 乳の下をかき切り玉を押し込め」ます。龍宮が死人を忌むことを計算しての命がけの行動。
 瀕死の状態で引き上げさせたのも計画通り。
 
 「珠の段」は、母の勇気と知恵ばかりか、女である悲しみも伝えます。

  そのほか悪魚鰐の口 遁れがたしやわが命
  さすがおんない(女・恩愛)の 故郷の方ぞ恋しき
  あの波のあなたにぞ わが子はあるらん 父大臣もおはすらん

 
 語り終えた女は、母の幽霊であると明かして波間に消えますが、その前に弔いを願う「手跡」を渡します。
 供養の管絃講で房前が披けば、「十三年冥土の暗闇で過ごし、われを弔ふ人なし」の文字。父親への恨み事に聞こえますね。
  
 前半には、海女が謡う文芸的情趣の詞章までありました。
 (海士で名高い伊勢や須磨とちがい、志度の浦には何の慰みもない・・でも龍宮があるじゃない)

  げにや名に負ふ伊勢をの海士は夕波の 
  うちと(打・内外)の山の月を待ち 浜荻の風に秋を知る 
  また須磨の海士人は塩木にも 若木の桜を折り持ちて
  春を忘れぬ便りもあるに ・・
  
 
 後半は、母の幽霊が龍女となって舞う「讃仏の舞」。
 「仏法繁盛の 霊地となるも この孝養と承る」でおわり。立派な息子でうらやましい。

 画像は、荒木経惟・船越桂の 「至上ノ愛」展(2010年)です。

 




 







 



《富士太鼓》  芸道は火山爆発だ!         nokori 9


レイジンソウ (トリカブト科)
 レイジンソウ

 堂本正樹氏が「時事能」という言葉を当てた「富士太鼓」。実際に、舞人同士の確執と夫の死、妻の自殺と放火という事件があったようです。ですが、謡曲の妻は、情けも深いが思慮も深い。謡曲らしい人物造形をした作者は不明です。
 
 「住吉明神の楽人・富士」は、管絃の催しに太鼓の役がほしくて参内します。勅錠により召されていたのは「天王寺の楽人・浅間」。
 富士の妻は、夫の旅立った夜に不吉な夢を見て胸騒ぎ、娘を連れて上京します。
 そこで廷臣から聞かされたのは、夫が浅間に殺されたという事実。形見を渡された妻は、自分が留めるべきだったと後悔するのです。

 彼女は夫に言ったのです。「押しかけて参内すれば、主上の裁定に文句を挟むことになる。住吉社より領地を給わる身で、ほかに何を望むの?」。でも夫は「知らぬ顔にて出で給ひし」。 まったく男ってヤツは。

  あら恨めしやいかに姫 あれに夫の敵の候ぞやいざ討たう  
 夫の形見の舞衣と鳥甲(とりかぶと)を母が身に付け、太鼓に向かいます。娘は母が狂ったかと、「あれは大鼓にてこそ候」と涙ぐむ始末。

  うたての(情けない)人の言ひごとや 
  飽かで別れしわが夫(つま)の 失せしことも太鼓ゆゑ
  ただ恨めしきは太鼓なり 夫の敵よいざうたう(討・打)
 
 
 この妻の「敵打ち」は本質をついています。芸術という魔物に人間性を奪われたのは富士も浅間も同じ。
 撥を手にして母娘は、「うてや(討・打)うてやとせめつづみ(責・攻鼓)」。
 悲しみと腹立たしさで夢中で太鼓を打てば、いつしか富士の霊が乗り移る。
 
 夫の恨みを晴らした喜びと、男装の女性の華やぎが感じられる詞章です。
  まことの富士颪(おろし)に 
  絶えず揉まれて裾野の桜 四方へばつと散るかと見えて
  花衣さす手も引く手も 伶人の舞なれば ・・
 

 続く詞章には、夫への強い愛。  
  太鼓の役はもとより聞こゆる 名の下空しからず 類ひなやなつかしや
 (太鼓の役は当然「富士」、名人の評判通りの素晴らしさ、比類ない夫の太鼓のなつかしさよ)と、嬉し涙にくれる妻でした。
 
 さて暇(いとま)の時。伶人の舞装束を脱いで、妻が太鼓を「見置きてぞ帰りける」。この幕切れでは、続編ができるはず。

  寝られぬままに思ひ立つ 
    ・・
  松の隙より眺(のぞむ)れば 月落ちかかるやましろ(山・山城)も
  はや近付けば笠を脱ぎ 八幡に祈りかけおび(掛・掛帯)の
  結ぶ契りの夢ならで 現(うつつ)に逢ふやおとこやま(夫・男山)
  都に早く着きにけり 都に早く着きにけり


 妻と娘の「道行」です。都方に落ちる月に「月に雨」の不吉な夢を思い出せば、「石清水八幡」に夫との再会を祈らずにはいられない。
 妻の足は、ただただ夫のいるはずの都へ。

  
  
  










 

《梅枝》 叩いて夫の出るならば    


ベトナム グエン時代におけるフエの宮廷音楽 演奏者
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   のういづれも女は思ひ深し ことに恋慕の涙に沈むを などか哀れとご覧ぜらん
 
 謡曲「梅枝(うめがえ)」は、謡曲「富士太鼓」の後日談です。
 富士太鼓は、伶人(雅楽演奏者)の「富士」が、ライバル「浅間」に殺害され、富士の妻が太鼓に恨みを晴らすという話。梅枝では、妻は亡霊となって登場します。

 「摂津の国・住吉の里」。旅僧一行が、女(亡霊)の草庵を訪れ宿を借ります。
 部屋にある太鼓と衣装に不審を抱いた僧に、女は昔を物語り、回向を頼んで消え去ります。
 夜、僧の読経に、舞衣裳をつけた亡霊が現れ、夫の形見を着て太鼓を打って心を慰めたと語り、成仏を願って舞う「懺悔の舞」、そして「越天楽今様」。
 しかし暁闇(あけぐれ)には、亡霊の姿も執心も消え、「面影ばかりや残るらん」。

 道行はあっさりと、廻国行脚の僧が「摂津の国・住吉」に到着。「女人成仏」が主題ですから法華の僧でなくてはなりません。

  これは甲斐の国身延山より出でたる僧にて候
    ・・
  いづくにも 
  住みは果つべき雲水(くもみず)の  住みは果つべき雲水の
  身は果て知らぬ旅の空 月日ほどなく移り来て
  所を問へば世を厭ふ わが衣手やすみのえ(墨・住江)の
  里にも早く着きにけり 里にも早く着きにけり
 

 「村雨」に降られ宿を求める僧を、はじめは拒んだ女ですが、受け入れれば優しい。
   
  はやこなたへといふつゆ(言・夕露)の むぐらの宿はうれたくとも
  袖を片敷きて お泊りあれや旅人(たびびと)

  西北に雲起こりて 西北に雲起こりて
  東南に来たる雨の足 早くに降り晴れて 月にならん嬉しや
  所はすみよし(住吉・住良)の 松吹く風も心して
  旅人(りょじん)の夢を覚ますなよ 旅人の夢を覚ますなよ

 
 雨が止み、空気も澄みわたる月夜。主人公の心象風景でもある「秋」の風情がすばらしい。でもタイトルがどうして「梅枝」?
 「越天楽今様」の歌詞に「梅枝」があります。今様通りに歌うのがこの曲のハイライトなのだとか。

  いざさらば妄執の 雲霧を払ふ夜の 月も半ばなり 
  「夜半楽(やはんらく)」を奏でん
    ・・
  波もて結(ゆ)へる淡路潟 沖も静に青海(あおうみ)の
  「青海波(せいがいは)」の波返し
  返すや袖の折りを得て 軒端の梅に鶯の
  来(き)鳴くや花の「えてんらく(枝・越天楽)」
 

  梅が枝にこそ 鶯は巣をくへ
  風吹かばいかにせん 花に宿る鶯
 
 (梅の枝に鶯は巣を作るが、風が吹いたらどうするのだろう、鶯は)

 次回は「富士太鼓」をとりあげます。
 「太鼓」という楽器の力強さと存在感は、妻にとっては夫そのもの。「なぜ死んだの」と太鼓でなく、夫の胸を叩いているつもり。
 
 
  




   







  
 

  

《唐船》  子どもの祖国は親のそば        


京都西陣 すくい織の袋帯
 唐子

 原発事故後の放射能から「子ども」を守る動きが盛んになってきました。「子どもを救う」ことができなければ幸福な社会とはいえませんね。
 
 謡曲「唐船」には、中国人の子が二人と日中ハーフの子(作中では日本子)が二人登場します。この四人が幸せになるかどうか、主人公の父親と、土地の支配者次第。

  これは唐土(もろこし)明州の津(寧波の港)に そんしそゆうと申す兄弟の者なり 
 
 そんし君とそよう君(といっても成人)は、13年前の船争いで捕虜になった父が存命であると知り、賠償金を携え、九州筑紫の「箱崎」の浦までやって来ます。

  唐土船の梶枕(船での旅寝) 夢路ほどなき 名残りかな
     ・・
  明州河を押し渡り 明州河を押し渡り
  海(かい)漫々と漕ぎ行けば はや日の本もほの見えて
  心づくしの果てにある 忍びし夫(つま)を松浦潟 
  浪路遥かに行くほどに 名のみ聞きし筑紫路や
  箱崎に早く着きにけり 箱崎に早く着きにけり
 

 箱崎では「箱崎の某(なにがし)」が、高官「祖慶官人」を牛飼い奴隷として使役。これはマズい。彼は「官人は神仏詣に出ている」と嘘をつきます。実際に明人の捕虜問題があったとか。
 
 頃は七夕、秋の草花の咲く野。官人は、日本で儲けた二人の子と牛を牽(ひ)き家路を急いでいます。老いの身を嘆き、祖国の広大さを語る彼には、二重婚の心痛も。
  いかに父御よ聞こしめせ ・・
  さて唐土と日の本は、いずれ優(まさ)りの国やらん
 
 子ども達は不安なのです。だから尋ねます、どっちが好き? 父の答えは、両国に違いはない、おまえ達を儲けてからは帰国したいと思ったことはない。

 ところが、中国の子と再会すれば、故郷に傾いてしまう父。帰国を許され、夢かとばかり船に乗り込みます。
  あら悲しや我等も連れて御出で候へ  
 日本の子が父について行こうとするのを、「箱崎某」は日本の子どもは日本の所属と乗船を許しません。

 日中どちらの子も可愛い我が子。父は揺れに揺れ、海に身を投げようとします。それを四人の子が左右に取り付いて離さない。たぶん号泣でしょうね。
 箱崎某はこの光景を見て感動し、日本の子の乗船を許します。 
 出航前には父が異国情緒あふれる「喜びの楽」を舞い、親子五人を乗せた唐船は一路父の国へ。

 親子の情愛が七夕の空に流れる詩情が何ともいえません。
 牛飼の仕事を嘆く子に、父は「天上の星も、牽牛星の名のごとく牛を牽いておられる」と、夢を与えて励ますのです。
  
  あれを見よ 野飼の牛の声々に 野飼の牛の声々に
  子ゆえに物や思ふらん
 
 こちらは秋の野に広がる親牛の愛。
 
 作者は「元雅」と推定されています。親子の再会、平明な文体、劇的な構成などで。
  

 
 
  

   






 


  

外は風強し 一足先にホームページの「楽」

 
 先ほど、私のホームページ「謡曲を読む 独白と対話の中世詩劇」(リンク先に載せてあります)に、「おわりの言葉」をつけて最後としました。
 一年計画で謡曲33曲を書き直したのですが、何が一番辛かったかというと「パソコントラブル」。役に立たなくなった脳細胞にがっかりの一年でもありました。

 まだブログの〆に名曲がならんで大変なので、お祝いはお預けです。それでも嬉しいので、ここに「HP完了」を記録しておきます。
 
 デジタルカメラがあれば、今の気持ちにぴったりの画像を載せるのですが・・。
 
 パソコン

 かわりに、携帯で今撮ったばかりの写真を。「パソコン」さんにはもう少し頑張って貰わなくては!
 ぼんやり映っているのは2年半前に死んだ犬です。めずらしく舌を出しています。おまえにもずいぶん励まされたわ。ありがとう。













《熊野》 はいい女 独りになれればもっと        


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 平宗盛の愛妾・熊野(ゆや)は、遠江の国・池田の宿の長(遊女宿の女主人)。
 ある日、郷里の侍女が「母の文」を携え母の病を伝えます。熊野は暇を乞いますが、宗盛は許さず花見の同行を命じます。
 花見車の外は京洛の春景色。でも熊野は憂いに沈み、清水寺では母の無事を祈願。
 酒宴では舞を舞いますが、突然の村雨に散る花を見て、熊野は歌を詠みます。

   いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東(あずま)の花や散るらん
 
 
 宗盛は「げに道理なりあはれなり」と熊野の帰郷を許し、熊野は「御意」の変わることを怖れ、その場から東に直行。
 
 謡曲「熊野」は、この世の春を謳歌している男女の心理劇です。
 権力者の男は、女が自分以外のものに心を奪われているのが許せない。そのくせ、「籠の鳥」の憂いにおびた風情も捨てがたい。
 女の心も、母の元へ帰りたい気持ちと、男から離れる不安で揺れている。

 「道行」はとても長く、花見車の移動につれ、熊野の気持ちに変化が生じます。
 車に乗り込んでしばらく、二人の心は離ればなれ。

  牛飼ひ車寄せよとて これも思ひ(・火)の家の内 ・・
  心は先に行きかぬる 足弱車の 力なき花見なり

  名も清き 水のまにまに尋ね来れば 川は音羽の山桜 
  東路とても東山 せめてそなたもなつかしや (東といえば東国を思う熊野)
 
 
 続く漢詩三聯「春前に雨あつて花の開くること早し 秋後に霜無うして 落葉遅し」を、田代慶一郎氏は、宗盛の台詞だと解釈。次の詞章はデュエットだそうで、ミュージュカルのような楽しさ!

  たれか言ひし春の色 げにのどかなる東山
  四条五条の橋の上 老若男女貴賤都鄙 
  色めく花衣 袖も連ねて行く末の ・・  
 

 都の春は「人の春」です。沿道の視線をあび、彼らは自分達こそ「春」であると感じ、熊野の憂いも晴れます。
 ところが、その先には母の病を悪い方に考える要素が並んでいました。親子の情愛を思い起させる建物や、死を連想させる事柄や地名、そして祈りのための寺。
 
  川原面を過ぎ行けば 急ぐ心の程もなく
  くるま大路や六波羅の 地蔵堂よと伏し拝む
   ・・
  をたぎ(愛宕)の寺もうち過ぎぬ 六道の辻とかや
  げにおそろしやこの道は 冥土に通ふなるものを 心細(ぼそ)鳥部山
     ・・
  経書堂(きょうかくどう)はこれかとよ そのたらちねを尋ねなる
  こやす(子・子安)の塔を過ぎ行けば
     ・・
  飾磨のかちぢ(褐・徒歩路)きよみづ(来・清水)の
  仏のおん前に 念誦して 母の祈誓を申さん
 

 清水寺に着き、御堂で落ち着きを取り戻せば、酒宴では立派なホステス役の熊野。「長」としての器量をみせる彼女に、宗盛はまた惚れ直す?
 滅亡の時を予見する平家の棟梁は、最後の花見を自分の愛でた「桜」の見納めとしたのです。

  これまでなりや嬉しやなと、熊野は旅立ちますが、「逢坂の関」ではもう都の空(男)が恋しい。でも熊野さん、母も大事ですからね。
 平家物語の一挿話を自由に構成し、大人気曲とした作者は不詳。「金春禅竹」の可能性が高いようです。

 















 

舞子さんが手を合わせます 《誓願寺》     


一遍上人絵伝(断簡)  1381年 南北朝時代
 
一遍

 謡曲「誓願寺」のワキは、時宗の「一遍上人」。世阿弥の傑作「当麻」と「念仏讃嘆」のテーマも同じですが、こちらは詩的な面白さに欠けるみたいと、ブツブツ、ブツブツ。

 一遍上人は、熊野参籠で「念仏の札を国土に弘めよ」との霊夢を蒙り、旅立ちます。

  弥陀頼む 願ひもみつ(満・三)のおん山を ・・
  今日立ち出づる旅衣 き(着・紀)の関守りがたつかゆみ(立・手束弓)
  いで(射・出)入るひかず(日・日数)重なりて 時もこそあれ春の頃
  花の都に着きにけり 花の都に着きにけり
  

 京都一条小川の「誓願寺」で、上人が「六十万人決定(けつじょう)往生」と書かれた札を配っていると、「和泉式部」の化身である女が現れ、「六十万人のほかは往生できないのか」と不審を述べます。

 賢い女房だった和泉式部が、そんなこと聞くかしら。
 上人は、六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華 の頭文字が「六十万人」で、如来の光明は人数に限りなく普(あまね)く照らすのだと教えます。それはいいけど、一遍が何度も出てくるのが気になります。

 女は喜んで念仏を讃嘆し、夜念仏では「上人と仏」を一体にして礼拝します。その上、
  誓願寺と打ちたる額を除(の)け 上人のおん手跡にて
  六字の名号になして賜はり候へ  

 
 と、額の字を変えるように頼み、墓である石塔に消え去ります。一遍の手書きがミソ。どうも上人礼讃が目的の曲らしい。

 詞章には「ありがたや」や「有難き」が13遍も! これでは詩情の入るスキがない。内容は「洛陽誓願寺縁起」そのまま、作者は不明ですが「手抜き」の才能はあり、それはそれで立派ですがね。
   
  ありがたやげに仏法の力とて 貴賤群集(じゅ)のいろいろ(種々・色々)に
  袖を連らね踵(くびす)をついで ・・ 
  念仏三昧の道場に 出で入る人のありがたさよ
 

 現代の誓願寺は、芸道上達祈願、上方落語の発祥地として大賑わいです。

 式部の霊が「歌舞の菩薩」の姿で現れ舞を舞う後半も、出だしは「あらありがたの額の名号やな」。 西方極楽浄土が再現され、ここでも「上人」様が持ち上げられます。
 どうせなら一遍の「念仏踊り」が見たかった私は、最後まで、ブツブツ、ブツブツ・・。

  げにも妙なる 称名の数々 虚空に響くは 音楽の声
  異香薫じて 花降る雪の 袖を返すや 返すがへすも
  尊き上人の 利益かなと 菩薩聖衆(しょうじゅ)は
  面々に 御堂に打てる 六字の額を みな一同に 
  礼し給ふは あらたなりける 奇瑞かな


第15番札所 新京極 誓願寺の集印帳
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がんばろうは続かない 《白楽天》        


楽天
 
 謡曲「白楽天」は、唐の大詩人「白楽天」と日本の歌神「住吉明神」との対決。

 白楽天ほど日本人に愛された外国人はいません。その人を負かして失礼にならないかしら。中国への憧れとコンプレックス、和風文化を過剰に擁護している所がほほえましいです。
 舞台では笛と小鼓を交互に演奏され、ワキである白楽天が登場。
 
 白楽天は「日本(にっぽん)」の知恵を計れとの宣旨に任せ」海路をやって来ました。

  東海の 波路遥かに行く舟の 波路遥かに行く舟の
  あとに入り日の影残る 雲の旗手の天(あま)つ空
  月また出づるそなたより 山見え初めて程もなく
  日本の地にも着きにけり 日本の地にも着きにけり
 

 到着した九州筑紫の海のうつくしいこと! 
  しらぬゐの 筑紫の海の朝ぼらけ 月のみ残る気色かな  
 「肥前の松浦潟」の海上には小舟が一艘(そう)。白楽天が漁翁に話しかけ、明神の化現である漁翁は白楽天の名を言い当て、舟を近づけ和歌と唐詩の優劣問答をはじめます。
 
 白楽天が「青苔(せいたい)衣を帯びてナニヤラ」と漢詩を詠むと、漁翁は皮肉をきかせ和歌に詠みかえますが、ややこしいのでカット。 次はかんたん。
  
  花に鳴く鶯 水に棲める蛙(かわず)まで 
  唐土は知らず日本(にほん)には 歌を詠み候ふぞ ・・
  浜の真砂の数々に 生きとし生けるもの いづれも歌を詠むなり
 
 
 ウソーっとのけぞりつつ、歌を詠じ舞楽を奏すると予告する魚翁(住吉明神)の言葉に耳を傾ければ・・。
  
  たれなくとてもご覧ぜよ われだにあらばこの舞楽の
  鼓は波の音 笛は龍の吟ずる声
  舞ひ人はこの尉が 老いの波の上に立つて 
  青海(あおうみ)に浮かみつつ 海青楽(かいせいらく)を舞ふべしや
 

 実は、住吉明神というのは「外敵調伏」の軍神でもあるのです。ほほえましい文化論争ではすまされず、明神は舞を舞う手で風を起こし、白楽天を船ごと中国へ追い返すという暴挙?に出た。

  住吉の 神の力のあらんほどは よも日本(にほん)をば 従へさせ 給はじ
  速(すみや)かに浦の波 立ち かへり(返・帰)給へ楽天
   ・・
  舞ひ遊ぶ小忌衣(おみごろも・神事舞)の 手風神風に
  吹き戻されて唐船は ここより 漢土に帰りけり
  げにありがたや神と君 げにありがたや神と君
  動かぬ国ぞめでたき 動かぬ国ぞめでたき
 

 和歌の繁栄、すなわち聖代の繁栄とされた当時の日本。それを「にっぽん」と呼ぶのが白楽天、「にほん」と読む住吉明神。唐詩と和歌のちがいもそんな感じですが、さて、「がんばろう日本」は?

  









  




   

  

《景清》 娘は おひさま        


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  松門(しょうもん)独り閉じて 年月を送り
  みづから 清光を見ざれば 時の移るをも わきまえず
  暗々たる 庵室にいたづらに眠り
  衣かんたんに与へざれば 膚(はだえ)は げうこつと 衰へたり

  とても世を背くとならば墨にこそ (世をすねるなら出家となるべきを)
  染むべき袖のあさ(麻・)ましや 
 

 古びた藁屋から美声が聞こえる。
 武張った物言いのあとは憐れみを乞う調子。これが行方を尋ねる父「景清」の述懐だとは、その時は思いもよらなかった。
 
 父は、尾張熱田の遊女との間に私をもうけ、「女子(にょし)ならばなにの用に立つべき」と、「鎌倉亀が江が谷(やつ)」の長に私を預け、それっきり。
 そんな父だが、私は、景清が「日向の国宮崎」に流されて存命であるとの噂に、会いたさ一心で長い道程をやって来た。私の名は人丸(ひとまる)。

  相模の国を立ち出でて 相模の国を立ち出でて
  誰に行方をとほとふみ(問・遠江)
  げに遠き江に旅舟の みかは(見・三河)に渡す八橋の
  雲居の都いつかさて 仮寝の夢に馴れて見ん 仮寝の夢に馴れて見ん
 

 従者が声の主に「景清」の行方を尋ねると、「盲目なれば見ることなし」とつっけんどんな言葉が返ってきた。しかたなく私たちは藁屋を立ち去り、里人に事情を聞く。
 「のうその盲目の乞食こそ おん尋ね候ふ景清候よ」。悲しみが吹き上がる。平家の侍大将だった人が、そこまで落ちぶれるとは。
 父は「平家語り」で「日向の勾当」と呼ばれているそうだ。里人は私に同情し、父を呼び出してくれると言う。
  
 「悪七兵衛景清のわたり候ふか」
 忘れたかった名で呼ばれ、気持ちを高ぶらせる父。でもやがて短慮を詫びると、里人がとりなしての対面。
 うれしいはずなのに、父の無情を恨む言葉が先にたつ。はるばる来たのに名のってもくれない。親の慈悲も子どもによって違うのか。
 父は「おん身は花の姿にて」、乞食の親では名のらない方がためになると私を諭す。
  
 再会の時が、別れの時。
 私は、父が高名をあげた「八島の合戦」の有様を語ってほしいと所望する。父の「花の姿」を胸に刻んで私は生きて行こう。
 父は承諾してくれるが、語り出す前に私の帰国を従者に頼んでいる。親らしい心遣いがなぜか切ない。

  何某(拙者)は平家の侍 悪七兵衛景清となのりかけ 名のりかけ
  手取りにせんとて追うて行く 三保の谷が着たりける 
  兜の「しころ」を取り外し取り外し 二三度逃げ延げ延びぬ 
 
 
 昔語りは闊達に終えたが、父は衰え余命もないと告げ、死後の供養を私に頼む。もちろん生涯弔います。私はあなたの娘です。
 
  さらばよ留まる行くぞとの ただひと声を聞き残す
  これぞ親子の形見なる これぞ親子の形見なる


 
 謡曲「景清」は、ギリシア悲劇の「コローノスのオイディプス」に例えられます(画像はアンチゴネー)。
 頼朝の顔が見たくないと自分で両眼を刳り抜いたという景清。
 英雄の末路を芸能者とし、舞台を光あふれる古代の神々の国に設定するなど、多くの景清伝説をもとにしたとしても、第一級の文学作品であることは確か。
 
 作者は不明です。勝手なアレンジ、ごめんなさい。
 


 

  






 








 

 

《阿漕》 なのはどっちだ      


御潜神事(みかづきしんじ)
御潜神事

 「津」は昔は「阿濃津(あのつ)」と呼ばれ、そこから「あこぎ」という地名ができたとか。
 
 目前の豊かな海が「神饌」禁漁とされても、漁師達は網を引き続けました。平安時代から伊勢神宮と漁民の争いが絶えなかったそうです。
 江戸時代に生まれた「阿漕平治」という親孝行な漁師の伝説が地元では有名。
 
 謡曲「阿漕」では「阿漕といふ海士人(あまびと)」が一人で網を下ろします。それが人(漁師仲間でしょう)の知ることになり、海中に沈めら、地獄で「執心の網」を引くことに。「殺生・禁断」の二重の罪です。

 前半は、阿漕の霊が、魚翁の姿で現れ、古歌をめぐり旅僧と風雅な門答をした後、「阿漕が浦」の謂れを語ります。後半では、読経をする旅僧に、地獄での苦しみを見せて、成仏を願って波間に消え去ります。

 忘れないうちに「道行文」から。
 九州「日向」の者が、海路を「伊勢太(だい)神宮」参詣の旅に出発。

  日に向かふ 国の浦舟漕ぎ出でて 国の浦舟漕ぎ出でて
  八重の潮路をはるばると 分け来し波のあはぢがた(泡・淡路潟)
  通ふ千鳥の声聞きて 旅の寝覚めをすま(す・須磨)の浦
  関の戸ともにあけ(開・明)暮れて
  阿漕が浦に着きにけり 阿漕が浦に着きにけり
 

 瀬戸内の名所はおなじみですので、この曲のキーワードの話に進みます。

  古き歌に 伊勢の海阿漕が浦に引く網も 度重なれば顕はれにけり 
  娑婆にての名にし負ふ 今も阿漕がうら(浦・恨)めしや 呵責の責めも隙なくて
  苦しみも度重なる 罪弔らはせ給へや

  夜々忍びて網を引く 暫しは人も知らざりしに 度重なれば顕れて 
  憲清(のりきよ)と聞こえし その歌人の忍び妻 
  阿漕阿漕と言ひけんも 責め一人に 度重なれるぞ悲しき

  紅蓮(ぐれん)大紅蓮の氷に 身を傷(いた)め骨を砕けば 
  叫ぶ息は 焦熱大焦熱の 焔煙雲霧 たちゐに隙もなき
  冥土の責めも度重なる
 
 これだけ「度重なれば」、誰だって気がつきます。
 阿漕は、西行憲清の隠し妻が、「何度もこんなことしていたら世間にばれちゃう」と怖れる時に、自分の名が使われたのを悲しみます。

 西行は「待賢門院」に禁断の恋をしましたが、まさか後白河天皇の母が「阿漕阿漕」とは言わないでしょう。「阿漕阿漕」と重ねるとポルノチックですね。
 落語の「西行 阿漕が浦」は、「一度目はいいけど二度目はダメ」という艶笑噺だし、キーワードの意味する所がこんがらがってきた。

 謡曲「鵜飼」は、あふれるかえる魚を捕まえる漁の面白さが、禁忌を侵す誘惑と重なり、それが魅力。
 かたや「阿漕」はもの静かで、暗く揺れる海面が、阿漕の心を表します。
 すでに覚悟はついているのです。「殺生禁断」のほかに生きる道はない。

  今宵はすこし波荒れて ご膳の贄の網はまだ引かれぬよのう  
      ・・
  阿漕が塩木こり(樵・懲)もせで なほ執心の網置かん
 

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《女郎花》  セクシーなのは名ばかり    


おみなえし3

 「小野頼風(よりかぜ)」の妻は、死んで女郎花になりました。夫の訪れがないのを心変わりと恨んで「放生川」に身を投げ、その墓(塚)から女郎花が生えたのです。
 花の色は蒸せる粟(あわ)のごとし
 
女(オミナ)が食べる粟飯(アワメシ)のようだからオミナエシ、という説も。

 謡曲「女郎花(おみなめし)」の前半は、「歌問答」と「霊場の叙景と縁起」です。

 九州松浦(まつら)の僧が「石清水(いわしみず)八幡宮」に参詣の途中、男山の女郎花を、「古歌にも詠まれたる名草なり」と手折ろうとして、花守の老人に止められます。
 老人は旅僧と古歌で応酬したあと、八幡宮へ僧を案内し、「男塚女塚」の前で、頼風の幽霊とほのめかして消えました。

 後半は、僧の弔いに頼風と妻の幽霊が現れ、夫も妻を追って身を投げ、今は地獄で邪淫の悪鬼となって責め苦を受けていると語ります。
 結末は、「花の一時(ひととき・花盛り)をくねるも夢ぞ・・罪を浮かめて賜び給へ」。

 僧が咎められた根拠は、「和漢朗詠集」の「女郎花」。
  
  戯れに名を聞いてだに偕老を契るといへり
  ましてやこれは男山の名を得て咲ける女郎花の
  多かる花にとりわきで など情けなく手折り給ふ
 
 
 (女郎花は男を求めて咲く。まして男山という名の場所に咲くのはすでに契りを結んでいる証拠。だから手折ってはいけない)手折るとは犯すという意味もありますしね。
 
 月や紅葉の石清水の美しさ、八幡宮の有難さはさておき、私の注目は、頼風夫婦の時間差心中。まず、妻が謡います。 
  女心のはかなさは 
  都を独りあくがれ出でて なほも恨みの思ひ深き
  放生川に身をなぐる
  
 
 夫が驚き現場に行ってみれば、
  あへなき死骸ばかりなり 泣く泣く死骸を取りあげて
  山もとの土中に籠めしに その塚より女郎花一本生ひ出でたり
 

 頼風は花の色も懐かしくそばに寄ります。草の露が私の袖をぬらす涙のようだ。
 けれど花は恨みのためにすねて、なびき退き、夫が離れると元に戻ります。
 「無慙やなわれゆゑに」と夫の嘆きは深く、妻と同じ道をえらんで水の泡。

 それにしても昔の男女は「早まった」行動をとります。当時、人生は短かく恋も一時。花と蝶の出会いはほんの一瞬。
 反対に九州から「摂津男山」への道程は今よりずっと長かった。

  住み馴れし 松浦の里を立ち出でて 松浦の里を立ち出でて
  末しらぬひ(知らぬ・不知火)の筑紫がた
  いつしかあとに遠ざかる 
  旅の道こそ遥かなれ 旅の道こそ遥かなれ
  
  


 

















 

《張良》 時間指定はなかったけどなあ



八尾曳山
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 高祖の臣であった「張良(ちょうりょう)」は、「黄石公(こうせきこう)」より兵法の奥義を授かり、軍師として大活躍。といっても秘伝の巻物を手にするには、変わった「人物試験」に合格しなければなりませんでした。
 謡曲「張良」の作者[観世信光]は、原典の一部を夢中の出来事にして簡略化。
 
 ある夜、張良は夢をみます。
 唐土「下邳(かひ)」の土橋で、馬上の老人が沓を落として自分に拾え命じます。
 老人が「気色(けしき)ただものならず」、老いたるを親と敬う張良が拾って履かせると、老人は、五日後にここに来れば兵法の大事を伝えようと告げ、夢は覚めます。

 さて5日目。張良は霊夢を信じて出かけます。
  
  五更(午前四時ごろ)の天も明け行けば 五更の天も明け行けば
  時や遅しと行く程に 道は遥かに山の端も 白みわたれる河浪や
  下邳の土橋に着きにけり 下邳の土橋に着きにけり
 

 ところが大失敗。老人はすでに橋に居て、年寄りとの約束を破るとは何事か。「待つかひもなし早(はや)帰れ」と激怒します。でも「誠の志あらば、五日後の深夜に来い」ともう一回チャンスをくれる。
 しっかり怒ってフォロー忘れず。老人は早起きだけが能じゃない。

 それからまた5日、今度は夜中に出発した張良は、橋に人が渡った形跡がなく、願いが叶うかとワクワク。しかしそうは問屋がおろさない。
 「黄石公」は威儀をただし馬に乗って現れ名のりをあげます。そして張良を「賢才人に超え、器量に勝れ」と誉めながらも、もう一回彼を試すのです。先に誉めるところが憎いじいさん。

  今一度心を見むと石公は
  履ひたる沓を馬上より 遥かの河に落とし給へば  
 
 
 張良はすぐさま河に飛び込みます。でも激流で沓が拾えない。そこへ川波が立ち上がって「大蛇」が現れ沓を取ってしまう。
 しかし「張良騒がず」剣を抜いて向かって行く。大蛇は剣の光を怖れて沓を差し出し、張良は黄石公にそれを履かせます。
 大蛇は観音菩薩の再誕で、以来張良の守護神となるのだとか。
 
 老若どちらも人品卑しからず、すがすがしい作品です。
 本説は、中世の「御伽草子・張良」。教育的な内容ですが、舞台では大蛇と合戦や、急流の場面に「流れ足の秘事」があるそうで面白そう。

  石公馬より 静かに下り立ち ・・
  去るにても汝 善哉(よきかな)善哉と 
  彼の一巻を 取り出し 張良に与へ 給ひしかば
    ・・
  大蛇は雲井に 攀(よ)じのぼれば 石公遥かの 高山に上がり
  金色の光を 虚空に放し たちまち姿を 黄石と顕し 残し給ふぞ 有難き
 

 張良は「義全(まっとう)して心猛く」という人物ですが、失敗にめげないタフさが魅力です。沓を落として拾わせる繰り返し、黄石公が「黄石」となる不思議、絵本になったのも不思議はない。
 春信の見立ては、ちょっと離れすぎ?

 
春信  




 






 






 

お気に入りはいつも手元に  《春日龍神》 



 小鳥に説教

 
 華厳宗中興の祖である栂尾の「明恵(みょうえ)上人」。その人が望んだ「入唐渡天(にっとうとてん)・中国に入りインドに渡る)を、上人を慈しむ「春日龍神」は何としても止めたかった。その努力が涙ぐましいような謡曲です。

 上人は、仏跡(釈迦の遺跡)を拝むために渡天を計画し、暇乞いのために春日明神を訪れます。
 そこに「宮守」の老人が現れ、明神が格別に上人を大切に思っていること、仏跡はこの「春日の地」に外ならないと述べます。すると案外素直に上人は志を翻します。

  さすが上人のおん事は 年始より四季折々のご参詣の 
  時節の少しの遅速をだに 待ちかね給ふ神慮ぞかし
  
  (明神は指折り数えて明恵の来る日を待っているらしい)

  三笠の森の草木の 風も吹かぬに枝を垂れ 
  春日山 野辺に朝立つ鹿までも
  みなことごとく出で向かひ 膝を折り角を傾け 上人を礼拝する
  
  (鹿が礼拝? それはないでしょ)

  天台山を拝むべくは 比叡山に参るべし
  五台山(清涼山)の望みあれば 吉野筑波を拝すべし

 
 春日山が釈迦説法の「霊鷲山」なのだから、近くの山はみな仏跡。遠くの山もね。
 
 宮守は「時風秀行(トキフウヒデユキ)明神の神官の名」を名のり、「釈迦の一生」を見せると約束し消え去ります。

 後半の「奇瑞」の大がかりなこと! ここまでされたら明恵は生涯海を渡れない。
  
 春日の野山が金色(こんじき)に輝き、大地が振動し、龍王が八代龍王を引き連れて仏の会座に参会します。さらに諸王が恒沙の(ごうしゃ・ガンジスの砂のように大勢の)眷族と列席し、龍女まで来た。
 釈迦の一生は「麻耶の誕生 鷲峰の説法 双林の入滅」。

 とにかく上人は大満足で、龍神が確かめると、
  さて入唐は   止まるべし
  渡天はいかに   渡るまじ
  さて仏跡は   尋ねまじや
 
 マインドコントロールされたみたいな返事ですね。
 
 引き止め作戦終了で、龍神は波を蹴立てて大蛇となり、「猿沢の池」に失せました。

 とても楽しい曲ですが、ちょっと内向き志向かな。本説は「明恵上人神現伝記」、作者は金春禅竹か。
 アッシジの聖フランチェスコと上人は同時代の人で、ともに清貧で小さな生き物にまで心を寄せました。

    明恵上人お気に入りの仔犬 (木彫 運慶作)

  小犬

 連休ボケか「道行文」を忘れそう。歌語の「緑の空」がモダンです。のどかな空はいつ戻る・・。

  愛宕山 樒(しきみ)が原をよそに見て 樒が原をよそに見て
  月にならびのをか(並・双の岡)の松 緑の空ものどかなる
  都の山をあとに見て これもみなみ(皆・南)の都路や
  奈良坂越えてみかさやま(見・三笠山)
  春日の里に着きにけり 春日の里に着きにけり
















《黒塚》 私を鬼にさせないでください


 みちのくの安達が原の黒塚に鬼籠れりといふはまことか  

黒塚
 
 平兼盛の歌は、「安達が原(福島県二本松)」の「鬼婆伝説」を下敷きにしています。謡曲「黒塚」のあなたは、その鬼婆なのかしら。伝説はこうです。
 
 公家の乳母である「岩手」が姫の病を治すため、「妊婦の肝(きも)」を求めて陸奥に下り、旅の女の腹を裂いて殺します。
 しかし死骸のお守りから、それが別れた実の娘だと知り「岩手」は発狂、鬼となり妊婦を次々と殺してゆく・・。
 
 あなたは、山奥の一軒家に住み、旅人を襲っては食い、閨(ねや)には大量の死骸を隠しています。でも心の底では、鬼の境涯から抜け出たいと願っているのですよね。
 那智の東光坊の阿闍利である「祐慶」が、安達が原に着いたのはそんな時。

  わが本山を立ち出でて わが本山を立ち出でて
  分け行く末は紀の路がた 潮崎の浦をさし過ぎて
  錦の浜のおりおり(織・折々)は なほしをれ行く旅衣
  ひも(紐・日)も重なれば程もなく 名にのみ聞きし陸奥の
  安達が原に着きにけり 安達が原に着きにけり
    
 
 あなたは普段は物静かな中年婦人です。
 祐慶から「宿を借りたい」と強引に頼まれれば、あばら家に招きいれ、庵のすみにある「枠桛輪(わくかせわ)」について尋ねられれば、「卑しき賤の女の営む業にて候」と教え、彼の求めに応じ、実演までして見せます。

 あなたは千載一隅の仏縁にすがりたくて、糸繰りの仕事歌まで謡う。

  さてそも五条あたりにて 夕顔の宿を尋ねしは
  日影の糸の冠着し それは名高き人やらん
     ・・
  糸桜 色も盛りに咲く頃は くる(来・繰)人多き春の暮
  穂に出づる秋の糸薄 月による(撚・夜)をや待ちぬらん
     ・・
  長き命のつれなさを 思ひあかし(明・明石)の浦千鳥
  音をのみひとり泣き明かす 音をのみひとり泣き明かす
 

 募ってきた悲しみを振り払うように、あなたは「夜寒に候ほどに ・・ 木を採りて焚火をしてあて申さうずるにて候」と、山に行きかけ言い置きます。
 「わらはが帰らんまで この閨の内ばしご覧じ候な」と、全員に約束をさせて。
 
 私は、あなたが哀れです。鬼の本性に抗い、人として救われたくて懸命に彼らをもてなすあなたが。

 閨を覗いたのは、僧ではなく強力(ごうりき)です。腐乱死体が積み重なる怖ろしさに彼は逃げ出しますが、それは当然。
 あきれるのは山伏たち。「心も惑ひ肝を消し 行くべき方はしらねども 足にまかせて逃げていく」。名僧の正体みたりと作者はしっかり揶揄。誰が書いたのでしょう。

 山から戻って裏切りを知ったあなたの怒りと恨み。もう「鬼」の姿です。

  胸を焦がす炎 咸陽宮の煙(項羽に焼かれ3か月も燃え続けた)粉々たり
  鬼一口に食はんとて ・・ 振り上ぐる鉄杖の勢ひ あたりを払って恐ろしや
 

 山伏たちは、数珠を揉んで不動明王に祈り真言を唱え続けます。
 ついには弱り果て、あなたは姿を消しますが、私は調伏されたとは思いません。
 
 あなたは、これ以上人を殺したくはなかった。
 最後には自分の力で鬼の心をねじ伏せ、戦いを途中でやめ「黒塚」に戻ったのです、きっとそうです。

 
 
 
 
















人生には夢みる本が必要だ  《雲林院》

グレゴリー・クロベール
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 ワキとして登場する「蘆屋の公光(あしやのきんみつ)」は、幼い頃より「伊勢物語」に夢中でした。
 かなりのマセガキですが、大好きな物語の主人公が夢に現れるのですから「本好き」冥利。見た夢の実地検証で「蘆屋」から「雲林院」に出向く気持ちもわかるなあ。

 さて雲林院には着いたのですが誰もいません。せめて桜の一枝をと手折ると、老人が現れ咎めます。
  花に憂きは嵐 それも花ばかりをこそ散らせ 
  おことは枝ながら手折れば 風よりもなほ憂き人よ
 
 うまいこといいますね。公光の方も「素性(そせい)法師」の古歌で応酬。
  見てのみや人に語らん桜花 
  手ごとに折りて家苞(いえづと・土産)にせんと詠みけるぞ
 

 両者は「柳と桜の優劣を争っている」ようなもの。老人が「柳と桜をとりまぜて美しい都の春となるのだ」と収めるのは、青年の文学的教養を認めたからか。

 この老人は、伊勢物語の主人公とされる在原業平の「霊」です。一旦は夕霞に消え、夜に入り公光が桜の木陰で夢待ちをすれば、霊は在りし日の貴公子姿で現れます。
 そして伊勢物語の「秘事」を教えます。物語は業平の自伝であり、業平が「二条の后」と逃げた「恋路」の名所は、すべて内裏の中にあるということを。
 
 謡曲「雲林院」は世阿弥原作、金春禅竹改作といわれます。
 満開の桜をめぐる花折り問答、光源氏と朧月夜の密会を模して語られる高貴な男女の道行、月下の夜遊の舞・・まさに王朝の美、というより川に濡れ、色に濡れ、非常に艶っぽい。

  まづは弘徽殿の細殿に 人目を深く忍び
  心の下簾のつれづれと人はたたずめば われも花に心を染みて
  ともに憧れ立ち出づる
    ・・
  花の散り積る 芥川をうち渡り 思ひ知らずも迷ひ行く
    ・・
  被ける衣(きぬ)は紅葉襲 緋の袴踏みしだき
  誘ひ出づるやまめ男 紫の ひともと結(ゆい)の藤袴
  しをるる裾をかい取つて
  
 
 衣裳の色彩に目を奪われますが、この後場とは全く異なる原作が気になります。
 解説によれば、「二条の后が現れ秘事を語ると、后の兄の基経の霊が鬼姿で現れ、業平が武蔵塚(これも春日野の中)に隠した妹を奪い返して消え去る。兄が妹を「鬼一口」に食ったという解釈を前面に出し、男女の愛欲を執拗に描く」。

 そうです。こうでなくっちゃ。満開の桜の妖しい美しさには貴公子よりも鬼が似合う。
 世阿弥作であろう「道行」は、雄大な空間に広がる海辺の春景色。公光は暁から夕暮れまでを歩き「山城国紫野」の雲林院に到着。

  蘆屋の里を立ち出でて われは東(ひがし)に赴けば
  名残の月の西の海 潮の蛭子の浦遠し 潮の蛭子の浦遠し
  松陰に 煙を被く尼が崎 煙を被く尼が崎
  暮れて見えたる漁火の あたりを問へば難波津に
  咲くや木の花冬ごもり 今は現(うつつ)に都路の
  遠かりし 程は桜にまぎれある 雲の林に着きにけり
  雲の林に着きにけり
 

 三陸海岸にも桜が咲き始めました。
 遺族はどんな思いで桜を眺めるのでしょう。復興の掛声の中、心は冬のままで。

 

 
 














  
 

テーマ : ザ・シークレット『引き寄せの法則』
ジャンル : 学問・文化・芸術

永遠(とわ)に香る 歌人の花  《軒端梅》 


好文木(こうぶんぼく)
好文木

 謡曲「軒端梅(のきばのうめ)」は「和泉式部」の話です。式部は、夫が和泉守であったためにそう呼ばれました。
 軒端梅には「和泉式部」「好文木」「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の異名があり、流儀により謡曲のタイトルも、「好文木」「東北院」「東北」に分かれています。作者は不明(世阿弥周辺の作か)。

  春立つや 霞の関を今朝越えて 霞の関を今朝越えて
  果てはありけり武蔵野を 分け暮らしつつ(道を踏に分け進むうち)跡遠き
  山また山の雲を経て 都の空も近づくや 
  旅までのどけかる覧 旅までのどけかる覧
 

 新春の道を、旅僧が「武蔵野」から京の都へ向かいます。祝言ムードが漂う道行。

 旅僧が東北院に着き、咲き誇った梅を眺めていると、都の女が現れ梅の名を教え、謂れを語ります。
 「これは東北院が中宮彰子の御所であった時、仕えていた和泉式部が植えた梅。自分こそ花の主である」と言い残し、女は夕暮れの花陰に消えます。
 門前の男に勧められ、夜に旅僧が法華経を読誦していると「和泉式部の霊」が登場。読経に感謝し、藤原道長が門前を通った時の話をはじめます。

 「御堂の関白この門前を通り給ひしが、御車のうちにて法華経の譬喩品(ひゆほん)を高らかに読み給ひし、式部この門のうちにて聞き」、歌を詠んだ功徳で「歌舞菩薩」になったというのです。その歌とは、

  門(かど)の外(ほか)法の車の音聞けばわれも火宅を出にける哉  

 式部の霊は、さらに都の東北(鬼門)を守る院の風光を称え、舞を舞い、恋多き昔を思い出し、寝所であった方丈に消え去ります。「見えし夢は覚めて失せにけり」で、すべて僧の夢中の出来事です。

 梅は、花の美しさより、馥郁たる香りが称賛されます。梅林に入るたび「梅干しの匂いだ」と思うのですが。

  春の夜の 闇はあやなし梅の花 
  色こそ見えね 香やは隠るる(香りは隠しようながない)
  香やは隠るる 香やは隠るる
 
 
 香やは隠るるのリフレインが、和泉式部の恋の数々を物語ります。浮かれ女と噂されながら、どんな恋にも誠実であった式部は、歌人としての眼差しを忘れません。
恋の喜びの果てにある、人間そのものの悲しみを見据えていました。
  
  なぐさむる君もありとは思へどもなほ夕暮はものぞかなしき    (和泉式部日記)
  

法華経
998年 藤原道長が書写した法華経
  

  













GOON & MOON 《三井寺》


鐘を持つ女   マリー・ローランサン
 鐘を持つ女

  名月のもと、名鐘の音とともに、詩狂に乗じてはてしなくあこがれ去ったまま、失われた子に帰ることがない。表裏のバランスが完全に破れている。 

 名曲「三井寺」について、香西精氏がこのような辛辣な批評をしています。
 母子再会のハッピーエンド、のちに「富貴の家となりにけり」となると、母への同情も薄れてしまいますね。

 清水寺に参籠中、「我が子に会いたければ三井寺に行け」とのお告げに従い、母は三井寺に急ぎます。
 一方、寺では住僧が少年を伴い、中秋の名月を眺めている。能力が「物狂い」が来ると知り境内に呼び入れると、母は、能力の撞く鐘の音に誘われ、自分も撞こうとして咎められます。
 しかし中国の故事をひいて許され、鐘を撞きながら古歌・故事を語って舞います 。
 少年に頼まれ住僧が、女の国里を尋ねれば「駿河国 清見が関」との返事。人商人に浚われた「千満」と母の対面でお話は終わります。

 謡曲本文は、「盛久」「姥捨」「志賀」などの「いいとこどり」です。月や鐘にまつわる詞章の連続が私には少々重かった。印象深いのが「道行文」。狂乱状態なので三井寺でなく古里に帰ろうとします。

  よし花も紅葉も 月も雪もふるさと(降・古里)に
  わが子のあるならば 田舎も住みよかるべし
  いざ古里に帰らん 帰ればさざ波や 
  志賀辛崎のひとつ松 みどり子の類ひならば 
  松風に言問はん ・・
  風すさましき秋の水の みゐ(三井・三井寺)に着きにけり
  三井寺に早く着きけり
 

 ほんとうに母一人で田舎にいてもねえ。「月下の名所」へと詞章は続きます。

  月は山 風ぞ時雨ににおの海 風ぞ時雨ににおの海
  波もあはず(泡・粟津)の森見えて 
     ・・
  月は真澄の鏡山 山田矢橋の渡し舟の
  よる(寄・夜)は通ふ人なくとも 月の誘はばおのづから
  舟も こがれて(焦・漕)出づらん 舟人もこがれ出づらん
 

 「鐘」については、「鐘の名所」より涅槃経のアレンジの方が好き。

  まづ初夜の鐘を撞く時は 諸行無常と響くなり
  後夜の鐘を撞く時は 是生滅法と響くなり
  晨朝(じんちょう)の響きは 生滅々己 入相は 寂滅為楽(じゃやくめついらく)
 

 夕暮れの鐘は「寂滅為楽(静寂の境地がまことの楽しみ)」と響きます。
 
 近くのカトリック修道院から、正午と午後6時に鐘の音が聞こえます。カランコロンと明るい響きなのですが、ものを想う気分になります。防災スピーカーの「夕焼け小焼け」もなつかしいけれど、鐘の音には祈りがある。このへんでぜひ鐘の復活を。
 
 
 
 
 

  











海の安全神話 《玉井》 

 
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 兄から借りた釣針を魚に取られた「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、剣を針に作り直して返すのですが兄は許しません。しかたなく弟は「海洋(わだつみ)の都」へ針探し。
 日本書紀の「山幸彦海幸彦の神話」を、「観世信光」が謡曲に作り直しました。

  直ぐなる道を行くごとく すぐなる道を行くごとく
  波路はるかに隔て来て ここぞ名に負ふ海洋の 都と知れば水もなく
  広き真砂に着きにけり 広き真砂に着きにけり
 
 
 都に入ると、龍宮の門前に銀色に輝く「玉井(たまのい)」があり、尊が、井戸の近くの桂の木陰で様子を窺っていると、二人の女性が現れ「不老長寿の霊水」を汲みます。井戸底の水に映った尊の高貴な姿に、彼女たちは一目ぼれ。
 
  あら恥づかしやわが姿の 見えける事も我ながら
  忘るる程の御気色 容(かたち)も殊に雅やかなり 
 
 
 尊が「天の御神の御孫の尊(あまのみかみのみまごのみこと)」だと素性と針探索の事情を明かせば、女たちも打ち解け「豊玉姫」「玉依姫」の姉妹だと名のります。そして尊を助けるために、父「龍王」のもとへご案内。

 この後の経緯は、豊玉姫と地謡によって語られ、龍王は後半まで登場しません。
 龍王は、即座に尊への援助を約束します。海洋の支配者としての上昇志向か、姫と尊が結婚すれば彼は天孫の舅になるのです。だが、ふがいない弟の嫁では娘が不憫だ、なにか宝物を持たせてやろう。

  先ず釣針を尋ねつつ 御国に返し申すべし
  なほ兄(このかみ)の怒りあらば
  潮満潮涸(しおみつしおひる) ふたつの玉を尊に 奉りながら御心に
  まかせて国も久かたの 天より下る御神の
  外祖(がいそ)となりて豊姫(とよひめ)も 


 懐妊し三年が経ち、尊は帰国することになりました。
 帰国に際し「海路の標(しるべ)」をどうしようかと尊が心配すれば、姫は、

  御心安く思し召せ(安心して頂戴) 海洋の宮主伴ひて 海中の乗物様々あり
  大鰐に乗じ疾風(はやて)を吹かせ 陸地に送りつけ申さむ 


 立派な親がついていて良かったね。お嬢さん。
 後半では、姫たちが玉を捧げ、龍王は釣針を携えて現れ、尊に進呈します。
 のびやかな「天女の舞」と、龍王の荘重な舞とのコントラスト。

  をのをの玉を 捧げつつ をのをの玉を 捧げつつ
  豊姫玉依 二人の姫宮 金銀椀裏に 玉を備へ
  尊に捧げ たてまつり  ・・
 
 
  海洋の宮主
  姿は老龍の 雲に蟠(わだかま)り
  桛(かせ)杖に縋り 左右に返す
  袂も花やかに 足踏みはとうとうと 
       ・・
  二人の姫に 玉を持たせ 龍王立来る
  波を払ひ 潮を蹴立て 遥かに送り 付け奉り ・・ 
  又 龍宮にぞ 帰りける 
 

 最後は、老いた龍王の「威厳と孤独」が他を圧倒しています。
 海への「畏敬」の念を忘れたころに、大津波がやってくるのかも知れません。
 
  



  






 

 

 
 

《東岸居士》 橋を渡って花見に行こう


浮世絵船と桜

 謡曲「東岸居士」では出来事は何も起こりません。
 「京都東山雲居寺」に住む半僧半俗の「東岸居士」が、橋の勧進(建立や修復の寄付)のために「清水寺」の境内で説教芸を披露します。
 橋は彼の師である「自然居士」が架けたもの。人々を彼岸に渡す橋でした。

 都から清水寺に参詣にきた旅人が、東岸居士の「曲舞」が面白いと聞き、その出現を待っています。
  
  松をさへ みな桜木に散りなして 花に声ある嵐かな  
 (吹く風は花を吹き散らし、落花は緑の松までも桜色に染め、松に音立てて吹く松嵐はまるで花に声があるようだ)。
 東岸居士は登場すると、まず無常の世を嘆き、橋建立の勧進で大忙しなのだと述べます。明るく調子良く、春の盛りの気分も手伝い、寄付金も沢山集まりそうです。

  めぐる日影も小車の めぐる日影も小車の
  道を定かにしらかわ(知らず・白川)の
  心にかけて橋柱 たちゐ(建・立居)隙なき心かな ・・

 
 東岸居士と旅人の問答では、生死流転、六道輪廻などの仏教教義が説かれ、狂言綺語の理(文学や歌舞の技が仏法を讃美する)に寄せて、居士は歌い、舞い、鞨鼓を打ちます。
 渇食(かつしき)と呼ばれる蠱惑的な稚児の風体が、聴衆を引き付けます。

 大昔、神を喜ばすために歌や踊りが捧げられ、御供えの酒や食事を神と共食し、それを下げて直会(なおらい)が開かれました。
 今度の震災で花見が自粛されるは、「飲めや歌えや」が今では人間だけの快楽だからでしょう。でも、桜は命の美しさを教えてくれます。そして再生の喜びも。
 鎮魂の思いで花を眺めようと思っていた矢先に、東京地方は春の嵐となりました。

 橋の賑わいを楽器が囃子す詞章が好きです。人々の交流が見える場所が橋。

  波の鼓や風の「ささら」 うち連れ行くや橋の上
  男女の往き来 貴賤上下の 袖を連ねて玉衣(たまぎぬ)の
  さゐさゐしづみ(静・沈)浮き波の ささら八撥うち(打・)連れて
  
 
 東岸居士の説法芸の〆は、「万法一如」の教えですが、正直よくわからない。
 (この世に存在する全ての真実は一つ、雪や氷ももとは同じ水。それが真如実相だ。さあ、その悟りを得よう)と言われてもね。

  おう南無三宝 げに太鼓も鞨鼓も笛篳篥(ひちりき)
  絃管ともに極楽の 菩薩の遊びと聞くものを
  何とただ 何とただ 雪や氷と隔つらん 万法みな一如なる
  実相の門(かど)に入ろうよ 実相の門に入ろうよ 
 

 画像は嵐山の花見舟です。橋の下にも人は行き交う。

 
 

  








  
 





 

ぼくらも置き去りにされたけど  《俊寛》

南極のタロとジロ
タロジロ

 絶海の孤島にたった一人で置き去りにされてしまったら・・。謡曲「俊寛」が付きつけるのは、「絶対的な孤独への恐怖」です。群れで生きているのですね。人も犬も。

 平家討伐の陰謀(鹿が谷事件)が発覚し「鬼界島(硫黄島)」に流された三人のうち、「平判官康頼」と「丹波少将成経」は恩赦のために都へ帰り、「俊寛」だけが 島に残されました。
 本説の「平家物語」によれば、俊寛は陰謀の中心人物で罪が重く赦免されないのですが、謡曲の俊寛は、自分が不当に差別されていると訴えます。

  こはいかに罪も同じ罪 配所も同じ配所 非常も同じ大赦なるに
  一人誓ひの網に洩れて 沈む果てなんことはいかに
 
 
 俊寛は「後白河法皇」の側近で、法勝寺の執行(寺務の統括者)。プライド高く好色で勝手放題な男だったらしい。島でも二人を馬鹿にしていたかもしれない。
 歌舞伎の「俊寛役者」は絶対この人。申し訳ないけど、ニンに合っていた。
 
十七代

 九月のある日、康頼と成経は、島に「熊野三社」を勧請し、麻衣を白衣に、真砂を散米に、浜木綿の御幣に見立てて参詣し、今戻ってきました。
 一方、道迎えをする俊寛は、同じ見立てながら、谷水を「酒」だといい、重陽にちなみ「菊慈童」に我が身をなぞらえて絶望の思いを語る。
 俊寛の「不信心」が三人の明暗を分けたという作りになっています。

 さらに俊寛が栄華の昔を春に例え、今の境遇を「五衰滅色の秋」と嘆いている所へ赦免船が到着。
 
 赦免状を受取り、俊寛はそれを康頼に読ませますが、俊寛の名を言わない。
 「なにとて俊寛の名をば読み落とし給ふぞ」「さて筆者の誤りにて候ふか」。畳みかける詞章が、俊寛の不安と焦りをよく表しています。「元雅」作といわれます。さすが!

  見れども見れども ただ成経康頼と 書きたるその名ばかりなり 
  もしも礼紙にやあるらんと 巻き返して見れども 
  俊寛とも僧都も 書ける文字はさらになし
 

 二人が舟に乗り込む時刻となると、俊寛は身も世もなく康頼の袂に取り付きます。が、赦免使は「僧都は舟に叶ふまじ」と拒む。ですが俊寛も必死。
 「うたてやな公の私と言ふことのあれば(公ごとにも私情を挟み得る余地はある)」と反論し、せめて薩摩まで乗せて行ってくれと頼むのです。
 
 しかし舟人は䌫(ともづな)を押し切って舟を出します。手を合わせ、「舟よのう舟よと」呼びかける声も空しく、力尽き、渚にひれ伏して号泣する俊寛。
 康頼と成経が舟の上から、「帰洛がなるよう何とか取りなしをする」と励ましますが、誰がそんな事を信じるものですか。でも俊寛は「頼むぞよ」と一縷の望みにすがるように返事をします。哀れ、俊寛僧都。
 
  待てよ待てよと言ふ声も 姿も次第に遠ざかる沖つ波の
  幽かなる声絶えて 舟影も人影も 消えて見えずなりにけり
 

 その後の俊寛は、食を断って自害したとも、石に頭をぶつけて自害したとも、島を抜け出して生き延びたともいわれます。
 




















 

《井筒》 のまわりで 少女は女になった


エストニアの井戸

  さなきだに物の淋しき秋の夜の 人目稀なる古寺の
  庭の松風ふけ(吹・更)過ぎて 月も傾く軒端の草
  忘れて過ぎしいにしへを しのぶ(偲・忍)顔にていつまでか ・・ 


 謡曲「井筒」は世阿弥の最高傑作、伊勢物語を題材にした「在原業平・紀有常の娘」夫婦の物話です。

 まず二人の関係が時間を遡上して語られる構成がユニーク。「石の上(いそのかみ)」にある廃墟の「在原寺」は、時間の旅にふさわしい舞台設定。愛の拠り所となる井筒に湛えられた水は、世阿弥好みの「水鏡」となり、秋の月と業平の形見をまとった女の姿を映し出します。
 詞章は、伊勢物語の和歌を引用し、女の男へ捧げる純愛を詩情豊かに表現、舞台の観客は、両性具有のシテの美しさに陶酔するという絶品の曲。
 
 しかし、私は「井筒」が苦手です。というより「紀有常の娘」がわからない。
 人物の個性を問題にしない謡曲ですが、松風でも熊野でも砧の妻でも、読めば必ず女主人公の「顔」が見えてくるのに、この女(ひと)だけはだめ。
 紀有常の娘は、夫の浮気に嫉妬をせずにかえって夫が通う道を案じるという、女としては信じがたい「良い子」だからか。亡霊となった根拠、つまり執心が読めないのです。

 話は穏やかに進みます。
 奈良の在原寺に旅僧が訪れ、業平の墓塚に花水を手向ける里女と出会い、業平夫婦の物語をします。
 女が語るのは、河内「高安」の女と業平の仲が、有常娘の詠歌で途切れたこと。井筒の周りで遊んだ幼い日々と求婚のこと。
 一旦は消えた女が、旅僧の夢の中に「有常の娘の亡霊」となって現れます。業平の初冠と装束をつけた姿で。
 亡霊は舞を舞い、井筒を覗いて懐かしさに涙を見せますが、夜が明ければ僧の夢は覚め、亡霊も消えました。

 和歌で語られる、業平の浮気の顛末と、幼い恋とその成就。
   
  妹背の心浅からざりしに また河内の国高安の里に
  知る人ありて二道に 忍びて通ひ給ひしに
  風吹けば沖つ白波龍田山 夜半にや君がひとり行くらんと
  おぼつかなみの(無・波)のよる(寄・夜)の道
  行方を思ふ心とげて よその契りは離々(かれがれ)なり

  筒井筒 井筒にかけしまろが丈 生ひにけらしな 妹見ざる間にと
  詠みて贈りけるほどに その時女も比べ来し
  振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして 誰か上ぐべきと
  互ひに詠みしゆゑなれや ・・
 
 
 クライマックスは亡霊が薄が添えられた井筒を覗きこむシーン。

  さながら見みえし 昔男の 冠直衣(かむりのおし)は 
  女とも見えず 男なりけり 業平の面影


 シテが水鏡に見たものは、業平であり自分であり、またそのどちらでもない面影。愛も死も過去にしてしまう非情な時間の顔。

 そんなことを考えていた時、「被災地で井戸が大活躍」とのTV映像にハッとしました。住民がポリ容器を持って井戸に集まって来る。そこに見えた「紀有常の娘」の顔。
 昔、人々の暮らしは水を手に入れる事から始まりました。毎朝、井筒にやって来て水をくむ若妻は、夕べの愛の名残を確かめたくて水鏡をしたかもしれない。恥ずかしさに頬が染まる。ああ、私はいま幸せな顔をしている・・。
 
  われながらなつかしや 亡夫魄霊の姿は しぼめる花の 色無うて匂ひ ・・ 
 
 花の色は褪めても匂いは残っている。もう一度、いやもっともっと愛されたい。井筒に水が満々と湛えられるような愛がほしい。妻の執心の底にある「性愛」への執着。それは私の妄想なのでしょうか。

 旅僧は、彼は南都七堂に参った後で、初瀬(長谷寺)に参る道すじで、旧跡の在原寺に立寄っています。「おいでおいで」と薄が呼んだか、亡霊が呼んだのか。
 画像はエストニア。素朴な花が町の人を待っているようですね。
 

  
















  

  
 

プロフィール

yukie

Author:yukie
謡曲文の「道行」は実際の地名であっても架空の土地のような気がします。曲を読む手掛かりとして選んだ「道行」ですが苦戦しました。還暦記念のブログとして間違いもそのままに残しておきます。
ワードで作ったHPの「謡曲を読む」は、レイアウトが崩れていますが直すことができません。どちらもお恥ずかしい限りですが、謡曲を読む楽しみがわかって頂けたら幸いです。
yukie

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